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節分の夜に村人雑魚寝 豊作祈願する大原八朔踊

左京区井出町・野村町と静市市原町を結ぶ江文峠、その傍らの杉林の中に厳かに鎮座する江文神社は、江文山(現在の金毘羅山=注1)の頂に祀られていた神々を平安時代の後期に建立された社殿に勧請されたと伝えられています。鎌倉~室町時代に栄えましたが、織田信長による比叡山焼き討ちの頃から衰退したといわれています。社殿には倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)が祀られており、大原にある8つの町の氏神です。また、毘沙門堂江文寺(詳細不明、平安~鎌倉時代)と神仏習合の宮寺でありました。

江文神社

今日では、「大原雑魚寝」と「大原八朔踊」で広く知られています。
 
大原雑魚寝は、毎年節分の夜に江文神社の拝殿に村民が参籠し、通夜をする行事でした。この行事の由来は、「山州名跡志」(1702年)の中にある「大原物語」であるといわれています。それによると、若狭に嫁いだ京の女性がこの地まで逃れてきたが川の水底に沈んでしまいました。その後夫が馬に乗って通ると大蛇が出て水底に引っ張りこもうとし、石を打ちつけると大蛇は退散しました。それ以来大蛇は大淵という池(現在の井出町)に棲んで、時折村人に出て危害を加えたので、その蛇から隠れるために江文神社の社殿に集まったのが発端とのことです。
 
「雑魚寝」の伝承は各地にありますが、中でも、大原雑魚寝の様子は、順徳天皇(鎌倉時代、第84代天皇)「八雲御抄」や井原西鶴「好色一代男」、吉井勇の歌集などで紹介されております。村の男女が一堂に集まり、闇の中で過ごすことが風紀上の問題があるとされ、明治時代には廃止されたと伝えられています。
 
大原八朔踊は、楽器を使用しない「道念音頭」にあわせて、踊り手(かすりの着物に菅笠姿の青年)が円になってなだらかに踊る大変珍しい踊りで、京都市指定・登録文化財-無形民俗文化財に登録されています。道念音頭は、それぞれの町で引き継がれている町独自の音頭があります。
 
「京の七夕」(主催:京都府など)などのイベントでも披露することがありますが、毎年9月上旬に開催される「八朔祭(注2)」で倉稲魂神に豊作を祈願し、踊りを奉納します。
 
(注1)ロッククライマーには京都唯一の岩登りゲレンデとしても有名。
(注2)八朔とは、旧暦の八月朔日(8月1日)の略で、正月・盆と並ぶ節日だった。現在では9月1日を「八朔」とし、各地で農村における稲などの豊作を祈願する行事が行われることが多い。

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