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【おおはらリハビリ日記】日本にパラアイスホッケーの女子チームを作りたい!

藤原 芽花(ふじわら めいか)、京都府生まれ。大学で心理学を学ぶ。大学2年生の時、所属していたハンドボール部の練習中での転倒をきっかけに腰に激痛が走り、歩行が困難に。手術をしたが症状は軽快せず、車いす生活となった。リハビリの為、御所南リハビリテーションクリニックへ通院。現在は大学生活の傍ら、パラスポーツに取り組む。パラアイスホッケーでの活躍が認められ、大学スポーツ協会(UNIVAS)が主催するUNIVAS AWARDS 2023-24パラアスリート・オブ・ザ・イヤー最優秀賞を受賞。

本当に軽い転倒をきっかけに自立歩行が困難に
大学2年生の時に、当時所属していたハンドボール部の練習中に転倒して、腰に痛みが走りました。高校生の時に手術したヘルニアの再発だと思って受診したのですが、とりあえず3カ月様子を見ようという診断でした。でもだんだん歩くのがつらくなって、杖を使って歩くようになって。ちょうど3カ月経つ頃に激痛が走って倒れました。痛くてどうしようもなくなって、病院に電話をして手術をしてもらうことになりました。入院までの3日間は意識が朦朧としていて、痛みで気絶して、また痛みで目が覚めるというのを繰り返していました。食べたり飲んだりも全然できなくて。あとから考えると、その間トイレに行っていなくて、排泄障害もあったんだと思います。入院して1週間後に、手術が終わってトイレに行こうとすると立ち上がれなくて「もう立てないかも?」と思いました。

リハビリ入院中は毎日が初めての体験でおもしろかった
―突然歩けなくなって、落ち込んだりしなかったですか?
術後、転院してリハビリをしている時は「なんで突然歩けなくなったん?」と落ち込むよりも、毎日初めてのことに出会うおもしろさの方が勝っていましたね。ロボットを使ったリハビリとか、入院しなかったら見ることも使うこともない機械を使っていると思うと「特別な時間をすごしているかも!」とおもしろかったです。無理して「頑張って前向きにならないと!」という感じは全然なかったですね。ドラマとかで障害をおった人を見ていて「なんで自分だけ歩けなくなったの?」と、1回は絶対落ち込む日が来ると思いながらも、そんな日は来ず(笑)、今に至ります。

―先日お母さまにお話しを伺った際に、毎日お見舞いで通っていた時に「どうせ会えないし、毎日来なくていいで」と言われて、少し寂しかったとおっしゃっていました。
そうなんです(笑)。コロナ感染対策で面会制限があったので会えないし、母も仕事をしているので無理して毎日来なくていいよ、と思っていました。隣の部屋のおばあちゃんと仲良くなって、楽しい入院生活を送っていました。

芽花さんとお母さん

思うようにリハビリができない日々
リハビリ入院中に、自分の意思とは関係なく身体が「く」の字に折れ曲がるくらい、すごく大きく身体が動き始めて(不随意運動)、リハビリどころじゃなくなりました。大学病院に転院して、全身の精密検査を受けたんですけど、脳にも筋肉にも精神にも異常はありませんでした。不随意運動を止めるために、また別の病院に転院しました。そこでの治療で、症状は少し落ち着きました。

知り合いの看護師さんの紹介で御所南リハビリテーションクリニックに通いはじめた頃は、日常生活でできることを探すリハビリがメインだったと思います。当初は歩行のリハビリがしたかったんですけど、とてもそのレベルまで体の機能が追い付いていなくて。筋肉が勝手に固まってしまう症状が強かったので、ほぐしてもらうことから始まりました。あとは、手の機能が落ち始めたので、作業療法もしてもらいました。歩こうとしてリハビリをすると、不随意運動が出てしまって何もできない、という状況でしたね。

自分の車いすが欲しくてしょうがなかった
今はIBT療法(※1)という治療法で、症状をコントロールしています。
病気になってからは、病状は悪くなるのに原因が見つからず、障害者として扱ってもらえない宙ぶらりんな日々が続きました。御所南クリニックに通うようになり、児玉院長が障害者手帳の申請をしてくださったことが、改めて自分の障害と向き合うきっかけになりました。
※1 筋肉の緊張をやわらげる薬の入ったポンプを腹部に埋め込み、カテーテルを通じて脊髄周辺(髄腔)に薬を直接投与することで筋緊張を緩和する治療法

―障害者手帳を申請することに抵抗は無かったですか?
よく聞かれるんですけど、私は障害者手帳がどうしても欲しかったんです!というのも、自分の車椅子が欲しかったんです。(※2)レンタルできる車椅子って、介助してもらうのを前提に作られているものが多いようで、自走するのが本当に大変で。御所南クリニックに通院を始めた当初はレンタルの車いすだったんですけど、駅から病院まで30分くらいかかっていたんです。でも今の車いすだと、5分で着くんです!タイヤの大きさや位置がほんの少し前か後ろという差だけで、こぎやすさが全然違うんですよね。自分のことは自分でもっとしたいのに、何もできないし、どこにも行けないというのがすごくストレスで。初めてパラスポーツの体験会に行った時に選手の方から「なんちゅー車いすに乗ってんねん!障害者に見えるぞ!」って言われたんです(笑)。その時のご縁で、自走式の車いすを貸してもらったんですけど、乗った瞬間感動して「これならどこでも行ける!」くらい全然違いました。「自分の車いすを絶対に手に入れなければいけない!」と思った瞬間でしたね。車いすの差で行動が大きく制限されるという事実は、病院の先生方にめちゃくちゃ訴えたいです!
※2 障害手帳が交付されていれば「自立支援法」にて、福祉用具(補装具・日常生活用具)の購入補助を受けることができる。

スポーツが縁をつないでくれた
―どのような流れでパラスポーツを始めたんですか?
小さいころからスポーツが好きだったので、退院してからX(旧Twitter)で見つけた車いすハンドボールの体験会に参加しました。そこで出会った人が、車いすソフトボールを教えてくれて。そこから数珠つなぎでカヌー、アイスホッケー、バスケットボール等、たくさんのパラスポーツを体験しました。スポーツがスポーツをつないでくれて、いろんなものに出会いました。車いすになって1年目は、自分のやりたいことを探そうと思って、いろんなことにチャレンジしていました。今はパラアイスホッケーと車いすバスケを中心に取り組んでいます。

 

―たくさんあるパラスポーツの中から、なぜパラアイスホッケーを選んだんですか?
パラアイスホッケーは実は全然体に合っていなくて(笑)。練習が終わるたびに体が冷えて感覚が鈍くなって、車いすに自分で乗るのが難しい時もあります。それでも続けるのは、競技性のおもしろさももちろんあります。幼いころからサッカーをしていたのもあって、サッカーぽくておもしろいなと。でもそれ以上に、ホッケーを始めて1年目の時に参加させてもらった世界大会(World Para Ice Hockey Women’s World challenge※3)が本当にすばらしくて、この大会にまた参加したい!というのが大きなモチベーションです。「ガールズパワー」みたいなものを強く感じたんですよね。“参加させてもらってる”じゃなくて、“自分たちのパワーで道を切り開いている”という雰囲気がすごくて。
※3アメリカ、カナダ、イギリス、複数の国からなるワールドチームの4チームで開催される女子パラアイスホッケーの世界大会。

 

―幼いころの経験がきっかけに?
子どもの頃所属していた男子サッカーチームで「なんで女がサッカーをしてるんや?」とか「男子と口調を揃えないといけない」と言われ“女の子が受け入れられない場所”だと感じた経験があります。ホッケーも同じように、女子がめちゃくちゃ肩身の狭い思いをしているんですよ。日本にいても、男子チームの中に”参加させてもらっている”という感じが抜けなくて。試合がしたいといっても、自分が活躍できることもないし、競技人口も少ないので女子同士の試合なんてもちろんできません。でもこの大会は、世界中からパラアイスホッケーを愛する女性が集まって、みんながホッケーファミリーという感じで「この大会を開けたことが本当にうれしい!」という雰囲気でした。

―今の夢はなんですか?
私みたいな、ホッケーを始めてすぐの選手にも「来てくれてありがとう!」という感じで、「素人が参加して、ホッケーなめてんのか?」みたいな人も、もちろんいませんでした。「ホッケーを続けてくれていることが本当にうれしい!」という空気がありました。これはぜひ日本にも、日本の女の子たちにも「こんな素晴らしい大会があるんだよ!」というのを持って帰らなあかん!というのが、大きな原動力になっています。いまは日本で女子チームを作ることが目標です!

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