海産物に文化乗せ運ぶ 往時伝える道標や民俗行事
京都大原のメイン街道となっている国道367号線は通称「鯖街道」と呼ばれます。かつて、若狭から新鮮な海産物や塩などが都(京都)へ運ばれる物流ルートとして栄えた街道です。
「京は遠ても十八里」。この慣用句は旧若狭国の中心をなした福井県小浜市界隈で古くから言い習わされてきたもので、京都がいかに親密であったかを示す句としても知られています。この鯖街道、そして若狭が昨春「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~」として「日本遺産」に選ばれました。
小浜に伝わる古文書に『市場仲買文書』というのがあり、その中に「生鯖塩して荷い、京へ行き任る」という文章があります。若狭から運ばれた鯖が、京の都へつく頃には丁度よい塩加減になったという意味です。若狭からは鯖だけでなく、いろいろな海産物や文化が運ばれ、そして京からも雅やかな文化や工芸品などが小浜に入ってきました。
「鯖街道」という名前は、小浜から運ばれた代表的なものが鯖であったという事のようです。良好なリアス式海岸を持つ若狭湾は絶好の漁場であり、それらの魚を塩漬けにして、朝廷に貢いでいたことは、平城京跡から多数の木簡が出土していることで証明されています。それらを運んだ鯖街道は、かつて5本ほどあったようです。その中でもっとも盛んに利用されたのが、小浜から熊川宿を通り、かつての滋賀県朽木村を通って、大原から出町に至る若狭街道でした。
若狭街道は軍事上も大きな役割を果たしており、戦国時代には、織田信長が豊臣秀吉や徳川家康を引き連れ、この街道から越前朝倉攻めに向かうなど、後の天下人たちが通った出世街道ともいえる道です。近世中期以降、街道最大の中継地となった熊川宿(福井県若狭町)では、小浜の仲買が送り出した大量の物資を、問屋が馬借や背負に取り次ぎ、京都などに運ばせました。街道沿いの集落には道標や街道松などの遺物が点在するほか、六斎念仏や祇園祭、地蔵盆など京都伝来の民俗行事が守り伝えられており、街道の歴史的景観を彩っています。
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