【前編】永年勤続!清水紀美子看護職(30周年)、鈴山博司医師(20周年)の想いをインタビューしました!
- 京都大原記念病院グループ(以下、グループ)38年の歴史のなかで、長年「在宅医療」を支える清水紀美子看護職が勤続30周年、鈴山博司医師が勤続20周年を迎えられました。今もなお第一線で活躍されるお2人に話を伺いました。大原在宅診療所(以下、診療所)の「ヒト」をご紹介します。
- ※前編・後編に分けてご紹介しています。今回は【前編】です。
■京都大原記念病院グループでの経験を振り返る
-勤続30周年の清水さん、同じく20周年の鈴山先生、おめでとうございます。節目を迎えて感想はいかがですか?
清水 ありがとうございます。長いなと思った時期もありましたけど、気が付けば30年も経ったんだなという感想です。
鈴山 同じだね。気が付いたら20年経った。よく続いたなと思う。(理由を振り返ると)もう若くはないということと、それほど飽きなかったというのもある。だいたい2~3年で飽きてしまう性分だけど、いろいろと経験させてもらった。変化もなく過ごしていたら、どうだったかわからない。
清水 私も近い感覚で、いろんな経験をして来られたから今があるのかなとも思います。それこそずっと同じ場所にいたらどうだったか分かりません。診療所へ来て15年になりますが、それまでは病院で働き、様々な部署を経験しました。当時は思わなかったけれど、今になって「あの時、ああしたな、こうしたな」と思い出すこともよくあります。
-診療所へ異動するまでの15年はどのようなご経験を積まれたのでしょうか?
清水 大原記念病院(当時)(以下、病院)で、病棟、外来、手術室、検査などを経験しました。部署によって日々の業務内容も変わりますし、やったことがないことの勉強もしなければならなかったり毎日が忙しかったけれど楽しかったですね。今そうなるとちょっとしんどいけれど(笑)経験は今も活きていると思います。先生はどうでしたか?
鈴山 僕は入職当時からあった診療所(当時・北陵診療所)での診療にも関わりながら、病院で医師として勤務していた。2001(平成13)年に大原在宅診療所になってからもそのまま在宅での診療に回っている。同じ年、おおはら雅の郷(介護老人保健施設)ができてから、施設長も任せてもらっている。
-付き合いが長いお2人ですが、お互いの印象は?どのようなものでしょうか?
清水 私は鈴山先生が赴任されてきた当時をよく覚えていて、、、第一に怖かったですね(笑)今思えば、先生という人を知らなかったからかもしれないけれど。病院で出会って、診療所でも一緒になってまた少しイメージが変わりました。今では冗談も言えるし、わからないことも聞けるしがらっと印象は変わりましたね。
鈴山 まあ、結構ストレートに言っちゃうからね。
清水 うん、どうしようかな?ってなっちゃいます(笑)。
鈴山 自分でも反省すべきではあるんだけれど、なかなか成長しないね(笑)よく言われるんだよ。清水さんは、僕から見ればベテラン、大先輩という感じ。清水さんが入職した当時は、博寿苑ができる前だね。(大原には)病院しかなかったわけか。
清水 そうだったと思います。
-30年前のグループの姿はどのように見えていましたか?
清水 30年前は世の中的にもそこまでリハビリと言われていなかったです。当時はそもそも家に帰るというよりは、病院が最期というようなイメージで入院されて来られる方がほとんどだったように思います。もしくはその次の行き先をなんとか探してあげなくてはいけないというような感じだったかな。
鈴山 その頃(30年前)は別の医療機関にいたけれど、外から見ていると、病院のことは老人病院と見ていた。ただ、老人病院だけどもリハビリスタッフはかなり人数がいるというような印象も持っていた。
少し話が変わるけれど、1991(平成3)年に博寿苑(介護老人保健施設)が開設した時、実は内覧会に来ていた。当時は病院しか知らなかったから、部屋も広いし、障子があるなんて「こんな世界があるのか!」と、とても驚いた記憶がある。
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- 「在宅医療、日々の診療での心がけ」
- 「いつまでも期待に応えられる診療所を目指して」
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