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セラピストが能登半島地震の被災地で支援活動を行いました。

京都大原記念病院グループの理学療法士が2月、能登半島地震の被災地で支援活動を行った。入職5年目の市來秀悟さん(京都大原記念病院)で2月下旬に石川県輪島市で被災者のリハビリテーショントリアージなどの業務に携わった。市來さんは業務の内容や被災地の様子、感じたことなどを語ってくれた。市來さんの話は次の通り。

写真奥、左から2番目が市來さん

私が輪島市の被災地で活動したのは、発生から2カ月近く経った2月22日から24日までの3日間です。JRAT(日本災害リハビリテーション支援協会)京都隊の一員として、主として避難者の暮らしを見ながら支援が足りているかどうか見て回る役割でした。
金沢市に前泊し、22日朝7時にホテルを出て輪島市に向かいました。輪島市までの高速道路はコンクリートが落ちていたり、ガードレールがぶら下がっているだけの状態になっていたり、道路のつなぎ目に段差ができていたりの危険な状態で、地震の時にこの道を走っていたら生きていなかったのではないかと恐ろしくなりました。輪島市内でも建物が倒壊し、がれきが道路にもはみ出して通りにくい場所がありました。

私の業務は朝6時にJRATの地域本部から出るリストに基づいて避難者を回り、リハビリテーショントリアージを行うことです。避難者には高齢の方が多くいますが、自宅にある手すりなどの福祉用具も避難所では思うに任せません。このトリアージは個々の避難者の福祉用具の必要の度合いについて、「赤=介入が必要」から黄、緑を挟んで「白=介入の必要性は小さい」、まで4段階で判断することです。京都の別の病院から来た人と3人でチームを作り回りました。途中、ふくらはぎに血栓ができた人やひざの痛みを抱えている人に、体操を指導したりもしました。
被災者の中には人と接する機会がなくなったせいか、私たちが訪ねると引きも切らず語りかけてくれる方もおられました。特に悲壮感は感じませんでしたが、中には感情失禁の方もおられ精神科チームが出動する事例もあったようです。いろいろな事情を抱えた方がいて、単に「頑張って」で済む話ではないと感じました。
本部には他の団体から来ている人もおられました。感染症で被災者がお一人発熱されたことがありましたが、その情報が届くや否や日赤から来ていたメンバーがすぐ動いてくれました。いつも以上に「ほうれんそう(報告・連絡・相談)の重要性を実感しました。

寝泊まりは穴水町の穴水総合病院でリハビリテーション室を借りました。企業が提供した簡易トイレや簡易シャワー、京都の自衛隊が作った温泉もあり「京の湯」というのぼりが立っていたのが印象的でした。持っていって良かったものとしては、寝袋、紙コップや紙皿(水道が復旧していないところもあるので)、ゴミ袋(周辺に簡単には捨てられないため)、ハンガー(着替えやバスタオルをかけて干せるので荷物の軽量化に重宝した)などでした。
職場で今回の派遣の話をいただいた時手を挙げたのは、「災害リハの経験はこの先に活かせる」との職務上の経験蓄積に加え、「俺って何ができるんやろ」といった自分探し的な動機もありました。実際やってみるとプレッシャーはもちろんありましたが、周囲の人と共有する中で分散できたと思います。3日間はあっという間でしたが、被災地のことは長いスパンで考えていかないといけないと認識しています。

入職6年目の高橋達也さん(同)もJRATを通じての支援活動に申請しており、日程については連絡待ちの状態。取材に同席した高橋さんは「私は同じ北陸の福井市の出身で、父親もボランティアとして被災地に行ったと聞いています。本日は市來さんのリアルな話を聞いて、私も早く日程を決めてほしいと思いました」と意欲を語っていた。

写真右から市來さん、高橋さん

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