京都大原リクルートブログ

2021/04/01

看護介護部長に聞く!“楽しい”ということ。

先輩インタビュー

2021年4月に就任1年を迎えた中島美代子看護介護部長にこれまでの経験とともに、看護師として、また一人の人として働くうえで大切にしている想いを聞きました。(本記事は2部構成の第1部です。)

第1部「“楽しい”ということ」編

 

―学生時代はどんな風に過ごされたのですか?

中島美代子(以下、中島):名古屋で生まれてから父の仕事の関係で幼少期を三重県で、その後は高校卒業まで長野県で過ごしました。高校時代はボート部で、強化合宿の時は電車で15分のところをボートで約1時間かけて天竜川をさかのぼり通学することもありました。おかげでかなり体力がつきました。現場でもよほどのことがないと、体力的に疲れたと思うことはなかったですね。

―活発なタイプだったんですね。看護師を目指すきっかけは何かあったのですか?

中島:洋裁の仕事をしていた母の「手に職を付けたほうがいい」という考えに影響されたのがきっかけでしたね。東京の看護学校に入学し、卒業後は附属の大学病院の小児病棟で3年間、小児医療に関わりました。

その後のキャリアについて、このまま続けるか、当時関心があった「循環器」に進むかを考えた結果、後者を選択して京都の急性期病院(循環器病棟)に転職しました。そこからずっと京都です。

―現場ではたくさんのドラマがあったと伺いました。

中島:ICU(集中治療室)で働いていた時は、朝まで元気だった人や、ついさっきまで元気だった人が急に死に至るような病気を発症し、運ばれて来ます。私たち医療者がいくら手を尽くしても助からないこともあれば、これは助からならないと思っても助かることもありました。いろんなドラマがありましたね。

そんな現場で、看護師として何ができるのかを考えるなかで「生きるってどういうことなんだろう?」と思うようになりました。そこで、大学の文学部で4年間「哲学」を学んだんです。看護学校で学んだ内容よりもさらに根幹部分の考え方として、私のベースになっていると思います。

―そのような経歴があったとは!例えば、どんな成果を感じられますか?

中島:哲学を学びながら現場で働いていて感じたのは「自分は生かされているな」ということです。人は生まれる場所も、死ぬ場所も自分では決められません。運命というものですね。ただ、私たちは運命に踊らされているのではなく、まれてから死ぬまでの期間は自分の意思や行動でなんとかなると思いました。だったら、この期間をどう過ごそうと思った時に、私は「楽しければいい」と思ったんですよね。

―楽しい・・・ですか?

中島:決してふざけた意味ではありませんよ(笑)

例えば、自分の好奇心が満たされるとか、存在が認められるとか、誰かに必要とされるとか、そういうことだと思っています。そしてそれは、自分がどう考えて意思決定し、どう行動するかによります。目指すのはそういう意味での「楽しい」です。

―それは確かに大切ですね。もともと、そんな考え方だったんですか?

中島:いえいえ、こうして語っている私ですけど、昔は他責(自分の行動の結果を他人のせいにしてしまう)な部分がありましたよ。「なんで自分がこんな思いをしなきゃいけないの」「こんなことになったのは●●(他人)のせいだ」という風にね。

だけど、自分に起こること全てが、自分が意思決定して行動した結果だと思えるようになったとたんに気持ちも楽になりました。大学で学んだ大きな成果だったと思います。楽しいのが大事という感覚はもともとありましたが、同時にそういう考えは「いいかげん」というような感覚もありました。4年間学んで、その感覚は間違っていなかったと思えるようになりましたし「人生楽しきゃそれでいい」と、自信を持って家訓にするまでになりました。

―中島部長のイメージとマッチします笑。在学中も現場で働かれてたんですか?

中島:大学と仕事の両立ということと、お世話になった先生への憧れもあって、大学に入ってから看護学校に籍を移しました。看護学校で働くなかで、私がやりたいのは「臨床での卒後教育」だなと思っていたところ、タイミング良くお誘いをいただき、大学卒業後は、ある病院のCCU(循環器疾患集中治療室)の師長として現場に戻りました。その後、ケアミックス病院の看護部長を経て、昨年4月にこちらの看護介護部長に就任したという流れです。

―急性期をはじめ、地域医療、教育と幅広くご経験されているのですね。京都大原記念病院は回復期リハに特化し、これまでと少し異なるステージかとお見受けします。

中島:前任で地域での生活を支える医療に携わっていたこともあり、回復期リハビリテーション(以下、回復期リハ)には関心がありました。

基本的に看護師は、患者様の全体を看る人だと思っています。京都大原記念病院はセラピスト(理学療法士、作業療法士、言語聴覚士)体制が非常に充実していますので、ある意味で身体的な部分はセラピストにもっと頼って、私たち看護師は患者様の心に寄り添う存在であるべきだと思っています。

リハビリに対する想い、障害を持ったことに対する想い、こうなりたい、何がしたいというような想いは看護師がイニシアチブをとって関わっていくべきだと思っています。

 

第2部「“人”と“人”として向き合う」編へ続く

 

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