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高齢社会に見合う医療を – 創立40周年に思う – |児玉博行|京都大原記念病院グループ代表

―京都大原記念病院グループは、児玉代表が前身の病院を開いて以来40年。今ではリハビリテーション専門病院として京都のみならず広く知られるようになりました。まずリハビリを手掛けるようになった理由から教えてください。

児玉博行代表 1981(昭和56)年に当時無医村だった大原の地に病院を建てました。私は外科医ですが、実際に病院経営を始めてみると、医療は当初思った以上に国による規制が多い業界であることも分かりました。そこで外科よりもリハビリを核とする制度ビジネスを志した次第です。

―きっかけは何だったのですか。

児玉 86年だったと思います。「成熟社会から高齢化社会へ」という日本経済新聞の元日特集がヒントになりました。高齢化で人口動態が変化するなら、それに見合う医療が必要になります。そこで急性期医療と高齢者医療の狭間である回復期を担うリハビリ医療に着目し、事業展開を思い立ちました。その後オーストラリアなどの海外事例も学ぶ一方、国に政策提言を重ね、2000年になって回復期リハビリ病棟が制度化されました。制度からはみ出たニッチ(すき間)市場を見つけるのが私のやり方の基本ですが、私自身も団塊世代の一人で、高齢者になるころには問題が深刻になるとの認識が、当時から実感としてありました。

 

―組織を維持するうえで必要なことは何だと考えますか。

児玉 事業はヒト・モノ・カネで成り立っています。レビューしてリセットしながら新しい態勢で物事に臨むことが必要です。つまりは、組織の垢や余計な物を取り除き、マンネリ化を防いで職員にフレッシュな状態でサービスに当たってもらうこと。それによって患者様やご利用者に質の高いサービスが提供できると考えています。そのためには常に組織の中に課題を見つけ新しいことに挑戦する。それが私の哲学の一つです。

 

―今後はどんな事業展開を考えていますか。

児玉 国民の金融資産は2000兆円近くあって、60歳以上の人がほとんどを持っています。この層の求めるものを掘り起こすことによって眠っていた資産が世の中に循環され、日本経済にも貢献できます。

そこで模索しているのが、いわゆる「メディカルマンション」。高齢層には衰え行く健康への不安は常にあります。しかし病院は基本的に治療の場であって生活の場ではありません。医療が完備され、適度の贅沢を楽しめて尊厳を守ってくれる、自宅に代わる最期の場としての生活空間には強い需要が見込まれており、従来にない高品質のものを世に出すにはどうすればいいか、折りに触れて考えています。

 

―職員にはどう感じていますか。

児玉 患者様やご利用者には評判が良く、現場の職員が提供するサービスの質には自信を持っています。その意味では感謝しかありません。たださらなる事業の展開に向けては、マネジメント能力を持った人材の育成が急務と考えています。

 

―最後に、あらためて今の気持ちを聞かせてください。

よく死なずに来たなあ、というのが正直なところ。銀行には何度も門前払いされ資金に窮したことや、業界の秩序に従わず無頼漢呼ばわりされたこともありました。グループの拡大に際しては、亡妻(児玉英理子・元大原ホーム施設長)が「アンタは思いついたらすぐやってしまうし、軌道に乗ったらすぐ他のことに目移りする。一つ一つの取り組みにもう少し値打ちを持たせたらどうですか」と、あきれながらもアドバイスしてくれたものです。患者様・ご利用者や職員から官庁・財界の方々に至るまで、多くの良い出会いに恵まれて今があります。幸せだったと思います。

 

|Profile|

児玉博行

昭和23(1948)年、和歌山の蚊取り線香製造元(南洲香)の老舗商家に生まれる。昭和48(1973)年、京都府立医科大学を卒業、同大附属病院第一外科に入局。社会保険神戸中央病院(兵庫)、西陣健康会堀川病院(京都)、国立鯖江病院(福井)などに勤務。昭和56(1981)年、京都洛北の景勝地、大原の里に大原記念病院(当時)を開設。

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