天台僧が伝え、大原に道場 各宗派へ広がり音楽の源流に
天台宗の法要儀式に用いられる仏教声楽を「魚山声明(ぎょざんしょうみょう=天台声明)」と呼ばれます。
「声明」とは、経典や高僧が著した論釈の文言に、独特の旋律を付けて唱えることを指す言葉です。琵琶による平曲、能の謡いや長唄、あるいは浪曲や明治期の都々逸に至るまで、魚山声明にその源流を求めることができ、日本音楽の源流といわれます。かつて大原はその本場として、多くの僧侶が研鑽に努めたとされています。
大原で伝承されてきた「魚山声明」は、平安時代に15歳で伝教大師最澄に師事した慈覚大師円仁(794~864)によって唐から伝えられました。「魚山」は、中国山東省に所在する声明の聖地の名にちなむものです。
大原には「勝林院」「来迎院」という寺院があり、開創された時代こそ異なりますが、いずれも魚山声明の道場として知られこの両院をもって「魚山大原寺」と総称されるようになり、これが大原の由来となりました。これらの門前町は現在も勝林院町、来迎院町としてその名を残します。
勝林院の開基である寂源上人(?~1024、第三代天台座主・慈覚大師円仁より九代目の弟子)は、大原を慈覚大師が唐より伝えた法要儀式に用いる梵唄声明(仏教声楽)研鑽の地と定めました。その後、聖応大師良忍(しょうおうだいしりょうにん 1073~1132)によって来迎院が魚山上院に開創されました。
寂源上人が勝林院を開いて以来、大原には声明を研鑽する僧侶が集まり、その住居である僧坊が建立されました。現存するものとしては、樹齢700年とも言われる「五葉の松」で知られる宝泉院、秋から春にかけて咲き続ける「不断桜」でしられる「実光院」がこれにあたります。
以後、魚山声明は、日本仏教の各宗派にも伝えられ、それぞれの宗派が用いる経綸に譜が付けられました。また声明の音曲は、世俗音楽へも影響を及ぼしています。
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